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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)8097号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

三次に原告の被告会社に対する賠償請求についてみるに、被告会社は被告笠原の営業と商号を引継いで法人成りしたことを自認しており、従つて同被告の商号を続用する営業譲受人たる地位にあるのではないかと推認される。

そうだとするとその余の点を検討するまでもなく被告会社は商法の規定により被告笠原の営業に因りて生じたる債務として右賠償債務について弁済の責に任ずべき地位にあるのではないかと考えられるのであるが、原告は被告会社に対する請求の根拠としてあくまで被告会社において被告笠原の右損害賠償債務を重畳的に引受けたと主張するのでこの引受の有無について検討することとする。

しかるところ被告会社は債務引受の点を争つており、また被告会社の代表者たる被告笠原紀夫もその本人尋問の結果中でかかる引受があつたことは否定しており、被告会社が債務引受をしたことを認め得る直接の証拠はない。

しかし被告会社の設立経過、その実態について<証拠>及び弁論の全趣旨によれば次のごとき事実が認められる。すなわち事故当時被告笠原は営業関係の仕事を代行する販売促進代行業を営み、雇傭八名と臨時雇を使用し、且つ加害者を含め六台の車輛を保有していたもので、被告内山もその臨時雇として加害者を運転してその業務に従事中本件事故を惹起させるに至つたのであること、ところで被告笠原の営業関係の事務所は同人の居住するアパートの一室で、その経理もいわゆるどんぶり勘定であるのみならず、同被告自身も経理については関心がなかつたこと、しかし取引先の信用を得るには法人化の必要があるので事故発生四ケ月後の昭和四七年八月二四日に被告笠原が主たる株主並びに代表取締役となり、同被告の弟、友人を取締役とする資本金二〇〇万円の被告会社を設立したのであるが、事務所は従前の場所で、電話、備品等も被告会社がそのまま引継ぎ、そしてアパートの賃料、電話料は被告会社において負担するようになつこと、その後手狭まになつたので昭和四八年二月頃被告会社の事務所を他に移したこと、なお被告会社設立の少し前から被告笠原は経理内容を明確にするため税理士に依頼して経理を監督して貰うようになつたこと、が認められるのである。

そうすると少なくとも被告会社設立当初は、その実態は被告笠原が個人で営業している時とほとんど変わりはなかつたもので、かかる被告会社の実情からすると被告会社設立後は被告会社の経理と被告笠原個人の家計とは明確に区別されて混同することはなかつたとの被告笠原の供述は極めて疑わしいところである。

のみならず、<証拠>によると、前記の被告会社の設立経過からすると被告笠原は本件事故発生時頃から被告会社の設立を計画していたと推測されるところ、事故後同被告において原告に見舞つた際、また被告会社設立前であつたにもかかわらず原告に「日興商事という会社の笠原だ」という趣旨の挨拶をしていること、さらに加害者は本件原付車と衝突した後右に転把していたため対向車線に停止していた前記柴崎征二の車輛と衝突したのであるが、同人及びその車輛に生じた損傷については車輛の所有者たる西武運輸株式会社を相手方に昭和四七年九月一八日被告会社が当事者となつて示談により解決していること、被告笠原は事故直後から原告の治療費、休業補償を支払つていたが被告会社設立後の昭和四七年九月から同四八年七月までの間にも一〇回にわたり被告笠原もしくは同人の使いの者が損害賠償の内金として原告に一回につき一〇万円もしくは一五万円の合計一二五万円の金員を渡しているところ、その中には被告会社名の印刷された封筒に入れて渡されたものもあること(もつともこれに対して原告が発行した領収書の宛先はすべて「笠原様」となつている)、この内金支払当時の被告笠原の被告会社から受取つていた給与は名目上月額二〇万円程度であつたことがそれぞれ認められる。

右内金の額と被告笠原の当時の給料を対比すると被告笠原は否定するも右内金は被告会社の収益の中から支払われたものと推測され、結局設立当初の被告会社の規模、その実態及び被告笠原が被告会社設立前にあつても被告会社があたかも既に存在するかのごときことを原告に述べたり本件事故と同時に西武運輸株式会社に与えた損害につき被告会社が当事者となつて示談していることなどからすると、被告笠原において被告会社設立の前後を通じてその営業から生ずる諸般の関係を一体のものと観念していて営業活動から生じた関係はこれを前提として処理していたと判断せざるを得ない。

前記事実から明らかなように本件事故による被告笠原の原告に対する損害賠償債務はその営業活動に関連して生じたものである。従つてこれについても被告笠原はその営業活動のなかで処理解決さるべきものと観念していて、被告会社設立後は同社の営業活動のなかに引継がれたと理解し且つ行動していたと認めざるを得ない。右のとおり西武運輸株式会社に与えた損害については被告会社が当事者となつて解決していることや、被告笠原が原告に損害賠償の内金を支払う際三回にもわたつて被告会社の印刷された封筒に金員を入れて持参しているのもかかる事情を前提として理解できるところである。

被告会社の代表者たる被告笠原の右のごとき所為からすると被告会社は被告笠原の原告に対する債務を遅くとも昭和四七年九月頃には引受けたと解さざるを得ず、その引受の性質は原告主張のとおり重畳的と認められる。

なお被告会社は、設立後その経理は被告笠原個人の家計と截然されたとして、設立に際して被告笠原が税理士に依頼して同被告の営業関係の資産を確定して税務署に提出した書面を本訴で証拠として出している。しかしこの書面が真正なものだとしても税金関係のものであるから、これをもつて被告会社の右主張を認めることはできないものである。

また被告笠原紀夫本人尋問の結果によれば被告会社設立後も税理士に依頼して経理の監督をして貰つていたことが認められるが、前記のごとき設立当初の被告会社の実態及び被告笠原は前記のとおり経理に関心はなく、被告会社設立後もその経理内容については知らないままであるのみならず、被告会社に経理専門の係が置かれたのは事務所を被告笠原のアパートからほかに移した後であることが、同本人尋問の結果によつて認められるのである。

そうだとすると右証拠、あるいは事実はいずれも被告会社は設立当初その経理内容は判然としたものではなかつたという前記判断を左右するものではない。

以上の次第で被告会社も原告の本件事故による損害につき賠償責任を負担するものである。

(岡部崇明)

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